「な…那須川(なすかわ)様!!!」
鈴香の深く深く響く声に、少女は引き寄せられるように、その場へ行く走る速さと焦る気持ちが早くなる
『…っ…』
少女は、肉声を喉から出すことを忘れたように出せなかった
目の前に広がる景色に
辺りの壁や障子に赤黒い液が飛び散り?W人?Wなのかさえ分からないモノが廊下に転がり落ちて、真新しく生暖かい鉄の臭いをゆらりゆらりと漂わせ
何の色を混ぜても黒い赫色を越すことを出来ぬ血の池を作っており、七色の鱗が浮いている
その池に浮かぶ、人のようなモノ
血の池に浸らずに、虚しく転がっている刀から?W那須川?Wっと言う武士だということは分かった
目を引くのは、それではない
その者の肩から首筋に、荒れ狂った獣に噛みちぎられたように、皮膚が垂れ落ち、大きく開いた噛み口から?W骨?Wだけがそろりと顔を覗かせている
思わず、逃げてしまいそうになるほど惨たらしい
「うっ…」
何時の間にか、姿を見せた風吹は、深く眉間にシワを刻み込み、その状況に奥歯を噛み締める
「どうしたのーーーー!?」
「蛍っ!!見るなっ!!」
人の波を避けて少女の背後に降って来た、蛍の声に風吹は見してはならぬと蛍の体を人の波の方へ押し戻す
されど
「きゃああぁああぁっっ!!」
人の波の間から、一瞬、覗いた隙間を蛍の瞳は見逃さなかった
「……っ……退魔師……まさか…妖嵬なのかい?」
人の波は、ぞろぞろと客人の壁が造って行きその度、客人は断末魔を叫び上げ恐怖の風を吹き荒らした
そんな客人を横目で会釈する絢野は、少し言葉を詰まらせて少女に、問う
『…ええ…?W肉吸い?Wと言う妖嵬です…それにしても……この宿に少し気配があったので…いくつか?W結界?Wを張っていたのですが、やはり…この宿に?W居た?Wとは…』
「やはり居たって……それを分かってて、野放しにしてたわけかい!?」
焦りの色を1つも見せず、淡々と言の葉をばらばらと散らせる少女に対し、あまり状況を掴めて居ない絢野は、少女の言葉にぎょろりと睨み声を張る
『…まさか……確実に居るとは確信することは、出来なかったんです…しかし…妖嵬の気配が薄っすらと渦巻いているのは感じ取れたので…結界を張たんです…』
「なら、可笑しいねぇ…?Wこれ?Wは鳴らなかったんだろう??」
?Wこれ?Wっと言ったモノは、少女に手首にぶら下がる緋い数珠のこと
確かに、少女の記憶上には、この数珠が鳴り響いた音はない
『…そうですね…儂も可笑しいとは思っていたんですが……』
少女は、己の顎に軽く持ち前に向けていた瞳孔だけをそろりと右へと動かす
考えているのか、または、そうではないのか。そんなことを振る舞う少女の様子を掴むことは難しいこと
『…もし……儂が思っている通りだとしたら…』
ふと、声を発する
『…この妖嵬を祓うには、時間が掛かりそうです…よ…』
風に揺られ乗った言の葉が、耳へ届いた絢野は、何も発することなく目を最大限に開けて少女を捉えた
「な…那須川!?おい!!!」
「父上様!!?」
血の飛沫が飛び、煌びやかな着物が赤く染まってしまった鈴香の肩を支える京香が、低く嗄れた声に反応の色を大きく見せる
「一体何があったんだ!?」
「わたくしには、分かりません…鈴香の悲鳴が聞こえましたから…」
京香の言ったことに、?W高坂英一郎?Wが、鈴香へに視線を向ける
「……呼ばれて…来たの…」
震えて手短に言った声は、精神的にも限界が近いことを、知らせている
「……っ…」
「風吹、大丈夫?」
人の波の中に、風吹が薄っすらと汗を滲まる額に手を当て、歯を食い縛って何かの痛みに耐えている
「どうしたんだろうねぇ…?」
『…儂は…何かは分かりませんが……重苦しい空気が漂っているのは…分かります…』
風吹と少女は、何処か似た体質なんだろうか
絢野には、感じ取ることが出来ない空気が渦巻いて、それを風吹や少女に重くのしかかっている
少女は、この気配に神経と言う神経に意識を集中させ目を閉じた
『……?』
ぽちゃりぽちゃりと波が打つ音
鼻の奥を突く濃い塩の香りの底も見えない真っ青な水の中へ、少女自身の体が溺れていくような、感覚がまとわりつき
沈んでいく体は、手を伸ばしても水面(みなも)に届きそうにない
ゆっくりゆっくりと
視界に下から上へと、いくつもの水泡が太陽の光が漏れる水面に上っていくが映った
「…っ…かい?…大丈夫かい!?」
『…っ…!』
「大丈夫かい?魂が抜けたみたいになっちまって…」
意識を集中させて、夢の世に彷徨っていた少女が、絢野の声に現の世に引きずり戻された
『……ええ…』
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部屋に、風吹や蛍、少女が居るにも関わらず人一人が居ないように、痛々しい沈黙の巣が張っている
あの後、大勢の町奉行の人々が駆けつけ、客人の波を払い、自分たちの部屋に戻ってきた
いや、引き戻されたのだ
「大変なことになったな…」
「…亡くなった方って…鈴香様と京香様の護衛をしてた人だよね…?」
風吹は、膨大なため息を撒き散らす
その傍らで蛍が、やはり喜怒哀楽がはっきりしている子で、眉を八の字に下げて、声も小さくしている
「ああ、ちょっと太り気味の方だね」
「風吹…っ」
いつも通りの顔で、さらりと言葉を流すつもりだったが、蛍はしっかりと耳で受け止めて、目を細めぎょろりと睨み付ける
先ほどの哀しさはどこへやら
「そう言えば、お前どこ行ってたんだ?」
「えっ?いろいろ」
『…京香さんと鈴香さんの部屋に居たそうですね』
本当のことを濁した蛍に、月も出ていない空を眺めている少女が、間髪入れず言った
なぜ、その事を知っているんだ。っと言わんばかりの表情が滲み出て居る
「ちょっと、色々あったんですっ!」
風吹や少女に、穴が開くのではないかと思うくらいに、見つめられ、それを恐れた蛍は観念し声を張り上げた
「落とした御守りさがしてて、京香さんが見つけてくれたの…それで、その御守りが、京香さん達の部屋にあって、取りに行って終わる?Wはず?Wだったのに…」
『…終わるはずだった…?』
思う範囲よりも、重要な話しらしく、それに吊られて少女の瞳が、険しい色に染まる
「あの時、鈴香さんの様子が可笑しかったの…?W何か?Wに怯えるように震えてた。鈴香さんは、?W大丈夫?Wって言ってたんだけど…京香さんも落ち着いて同じこと言ってたし」
蛍は、そんな瞳に見つめらないように視界に入れず、目を反らしつつ話す
「でも、すぐに普通に戻ったし、楽しそうに話してたから、大丈夫だと思うよ」
「大丈夫って言うことで、何回もそういうことが、起こっているってことだな…」
確かに、風吹の言う通りなのだ
身の回りの人にそんなことが、起きれば、京香の立場になると、誰もが冷静さを失うに違いない
「そうだね」
かつんっ
『……!!!』
「えっ!?」
「どうなっているんだ?」
拍子木が叩き合ったような音が、響いた瞬間、視点がぐるりと廻って今まで見ていた景色が変わった
あの宿の姿がない
元々、大きい宿が広さは変わらずに、輝かしく光を放つ黄金の色を、何列にも並ぶ襖や、真っ白な鶴が飛び交う壁にも使われている
どこかの豪華な屋敷のようだ
「ここは!?」
「なんでここに!?」
少女達が居る場所から、もう一つ部屋を挟んだその向こうに、ぺたりと座り込んで居る京香と鈴香
「どうなっているんだい!?」
その京香と鈴香の反対側の部屋に、青紫色の着物を纏った絢野と、同じく青紫色の着物を纏う中年の女の人が顔を合わせる
「なんでこんなところに居るのだ!」
「旦那様、落ち着いて下さいっ!!」
少女達の立って居る部屋の背後に、声を荒げる高坂英一郎と、それを鎮める京香と鈴香の護衛をしていた武士
「どうなっているのじゃっ!!!」
他の客だろうか
一方、前の部屋では、少女がまだ顔も見たこともない、深くしわを刻む裕福そうな、商家の旦那と言った風な初老の男が一人
『…動き始めたようです…ね』
大勢の客人が居る中、数人の集められた者が、少女や風吹、蛍を囲んだ形にして、たたずんでいた