「かなちゃん、歩けなくなったときのことは覚えてないのかい?」
私は遠慮なく質問する。子供相手に遠慮してどうするというのだ。名前は保母さんに聞いておいた
「……よくわかんない。あしがわるくなったのはみずたまりにおちてからだって、おかあさんがいってたけど」
「ふーん。そうなんだ」
水たまりねぇ。ばい菌でも入ったのか? ……それで原因不明はないよなぁ。
根本的な解決は無理か?
「おねえちゃんは足痛くないの?」
「大丈夫。これ飾りだから、っとっと、あぶない……」
きゃ! と背中から悲鳴が聞こえた。松葉杖を見せびらかせた拍子におんぶのバランスが崩れてしまったのだ。
「びっくりしたぁ」
「ごめんごめん。歩き慣れてなくてさ」
いつも杖をついて歩いてきたから、足二本でバランスをとるのに慣れていないのだ。それを我慢するほど、カモフラージュという意味合い以上に、悪魔の足を使うのには抵抗がある。
それこそ、こんな時でなければ。
「あ、おうちここだから」
「玄関まで運んでやるから心配すんな」
「……うん。ありがとう」
「どうした?」
「……ううん。なんでもないよ」
……。どうにも歯切れが悪いな。私を家に入れたくない理由でもあるのかな? でも、この足じゃあな。
彼女の家はそれなりに立派な一戸建てだった。悪ガキたちにピンポンダッシュされるぐらい。どれくらいだろう、それ。
迷わずインターフォンを押す。旅に出てからはこういう時に物怖じしなくなったし、上辺を撫でるような当たり障りのない会話も趣味柄で得意になった。
「……どなたですか?」
女性の声。お母さんだろうか。
「光保育園の沼地蝋花と申します。お迎えに上がられないようでしたので、お子さんをお送りさせていただきました」
「……わかりました、すぐに出ます」
「はい」
ぶつり。とインターフォンが切れる。それにしても暗い感じの女の人だったな。家庭環境が優れないなんておばさん保母さんは言っていたけれど。
「おねえちゃん。おくってくれてありがとう」
「このぐらいどうってことないさ」
本当は、かなり迷ったし、逃げかけたのだけれどね。
そんなことを思いながらドアの前に彼女を下ろす。
「それでもありがと。こんなにたのしかったのはじめて!」
それはちょっと言いすぎだろうけれど、それでも、こういうお礼は、結構うれしい。いつもの不幸収集だと、何もしていないのにお礼を言われることがほとんどなので、なかなか気まずかったりする。
心からの感謝。
不幸の背比べとか、支えとか、どうでもよくなってくる。
かなちゃんも私以外にもっと話をしてごらん。毎日がきっと楽しくなるぜ」
照れ隠しに、そう言ってごまかした。照れ隠しと自覚しているのにどうして頬が緩むのだろう。でも、私には出来なかったことだから。とは言わなかった。
未練がましいし、格好悪い。
「がんばってみる」
「そうかい」
この子はきっと大丈夫。私みたいにはならない。本来は明るくて活発な女の子。私のような根暗とは違う。
「私はしばらくそこの公園にいるから。困った時はおいで」
それはつまり私の宿無し宣言なのだが、さすが子供。ずいぶんとすんなり受け入れてくれるものだ。彼女の家は私が貝木と出会ったあの公園の真向かいにある。
保育園は今日一日でも、この街にはしばらくいるつもりだったからちょうどいい。
彼女は元気良く、うんと返事すると……ん、なんだろう?
彼女のほっぺたの絆創膏が剥がれて中身が……
バタンッ
「きゃ!」
「え?」
バタンッ
……一体何が? いや、何が起きたのかは分かっている。大きな男の手。シルバーリングを五指にはめた男の腕。太さも毛もゴリラみたいだった。その腕に彼女の腕がつかまれて、家の中に引きずり込まれた。
家庭環境が悪いとは聞いていたはずだろう。
……ここまでだとは思わなかった。
誰かに似ていると思わなかったのか?
……それは私だ。無意識に目を背けていたんだ。昔の私。
お前は気づけたはずだ。なのにまた何もしなかった。
……したさ。彼女をここまで連れてきた。
それで、お前が居なかった時と何か結果は変わったのか?
……わかってる。
結果が変わらなければ何もしてないのと同じだ。
「わかってるって言ってんだろ!」
叫んだ。そして、わたしはインタ―フォンを壊れると言わんばかりに連打する。
すべてが遅いのは分かっていた。
でも、このまま放って置いたらあの子がどうなるかもわかってるんだ。
応答はない。
私のせいだ。
いつもそう。私は取り残されて、置いていかれて、みんなと歩いていけない。バスケでだって、なんだってそうだった。
優秀だから孤高なんじゃない。弱いから孤独なんだ。ずっと、わかってた。
気づいたときには、いつも遅い。
彼女の絆創膏の下、縦長の痛々しい打撲と擦過傷が混ざったような傷。
男の手のシルバーリング。
ああいうリングをつけた手で殴られると、ああいう傷になる。
ただ殴られるより、打撲が広がらないから絆創膏で隠せるのだ。
そして、ただ殴られるよりも痛い。すごく痛い。
「ちくしょう……っ」
目の周りが熱くなってくる。でも、まだ泣いている場合じゃない。今回だけは、間に合わないわけにはいかない。
ドアを突き破る。
あの傷跡なら、ほとんど現行犯のようなものだろう。だが、警察は後回しだ。今は時間がない。
あの男の挙動から、次にあの子が何をされるかなんて想像がつく。この悪魔の体を使えばドア一枚、私一人でも十分に破ることができるだろう。
幸い両足ともほとんどが悪魔のものだ。ケリでなんとかなる。
「っでや!!」
ズガンッ! 凄まじい音が響く。見よう見まねの後ろ回し蹴り。悪魔の足にも相当な反動が来る。悪魔化していない部位の筋肉痛が心配だ。
ホコリと土が巻い、その先にあるドアは、無傷だった。
「……うそ、だろ」
いや、待て。物理的にそれはありえない。
怪異の体の威力に物理的もクソもあったもんじゃないが、それでも今の一撃はバスだって横転させるぐらいの破壊力はあったはずだ。それがドア一枚破れないわけがない。核シェルターじゃあるまいし。
それはつまりどういうことか。物理的にありえないのなら、そこに何らかの非物理的な何かがあったと見るのが一番自然で、簡単な回答だ。
物理法則を超え、不可思議な現象を起こす。私の体と同じ。
怪しく、異なるもの。
怪異。
「ふ、ふざけるな! なんで私の邪魔をする! もう手遅れは嫌なのに!」
ドガッドガ! と何度もドアや壁、窓ガラスにまで攻撃を加える。生身の部分から激痛が登ってきたがやめない。やめるわけにはいかない。
しかし、どれだけ叩いてもまるでびくともしない。そこにあるのが一般家屋だというのがもう信じられない。
拳から足から全身から血が出て、所々ピンクのジャージに赤いシミができる。
「……ぁ……はぁ……そ、んな……。助けたいのにっ! やっと決心したのに……」
絶望が足の先から体に満ちていく。冷たい水を体中に注がれているようだった。
このまま私ここで動けず、次に会ったあの子はもうボロボロで手遅れ。
その次すら、もうないかもしれないのに。
所詮私はこの程度だった。ありもしない才能にうぬぼれ、非のない世界を憎み、最後には他人の不幸を餌に彷徨って消えていく。
もう立っていられない。
膝が自然に折れ、背中からドアによし掛かりながら倒れる。
それでもここから離れないのは、私がまだ諦めきれていないからなのか。
どうにもならないのに。
私ではどうすることもできないのに。
本当、あきらめだけは悪いなぁ、私。
「祟り神」
そんな時、聞き覚えのある声がした。
「それがその怪異の名だ。沼地蝋花」
「貝木、泥舟……!」
街灯の手前の夜の中には、喪服のような黒いスーツを着た詐欺師、貝木泥舟が立っていた。
「やめておけ。と忠告しに来たのだが、遅かったようだな。今回の件からお前が得るべき教訓は、世の中にはどうにもならないこともある、ということだ」
「ダウト」
「なぜそう思う?」
「なんでも何も、お前は変化があるところにしか現れないだろう」
状況の変化がなければ騙すも何もない。詐欺とは自分以外に主体的なものが存在していなければ意味をなさない。そして貝木泥舟は絶対に変化から孤立しない。
つまり、こいつがここに現れたということは、この状況にはまだ変化す余地があるということだ。どうしようもないわけじゃない。だからダウト。
「おおむね、その通りだ。と言っておこう。これすら嘘かもしれないがな」
「言ってろ」
「で、おまえはどうしたいんだ」
「……この怪異を?」
「違う。あの子をだ」
どうしたい。私はどうしたいんだ?
虐待から助け出したとして、それは彼女にとっての幸せなのか?
そこから施設に入って、他人の好奇の目にさらされて、本当に幸せか?
……そうじゃないだろう。
私は、助けて欲しかった。
痛くて、苦しくて、いつも泣いて、助けが来るのを待っていた。それでも、外ではなんでもないフリをして、我慢した。
彼女もそうとは限らない。限らないけれど、それがここで立ち止まる理由にはならない。
「助ける」
「ほう。それは本当に、その子にとっての幸せか?」
「わからない。だけど、」
私は自信を持って言う。
「私は私のしたいように助けることにするよ。あの子の幸せなんて関係ない。押し付けがましいありがた迷惑さ」
今までは救いを本人に丸投げしていた。私からはアドバイスをしない。ただ不幸を聞いて引き受けるだけ。でも、助けるってそういうことじゃない。
きっと人が人を助けるって、もっと自分勝手なものだろう。
「自分勝手だな。それにひどく幼稚だ」
「いいんだよ。私はまだ子供だ。それに相手は幼児だぞ」
「まあ、そうか」
「で、お前は何をしにきた? 貝木」
「ん? ああ、親切な伝言板だ。もちろん俺は信じていないが頼まれごとでね、お前に祟り神の説明をして来いと昔馴染みに言われてな」
貝木は手紙のようなものを取り出して読み始めた。と思ったらなんか愚痴り始めた。
「しかし、お前も臥遠も良くやる。いくらなんでもお前の細腕とその足でドアなんぞ破れるわけがないだろう。それを祟り神だの怪異だのと、建築士を舐めているのか?」
「……いいから早く読んでくれ、貝木」
しかしこの詐欺師、いつまで怪異に対してシラを切り続けるのだろうか。実力は確かでもその安っぽい演技のせいで人物まで安っぽく見える。
貝木はちっ、と舌を鳴らすとそのA4の用紙に書かれた文章を読み始めた。
「祟り神。荒御霊とも呼ばれる日本の怪異だな。基本的に災害災厄をもたらす畏怖の象徴だが、祀り上げの等の信仰次第では強力な守護霊となると伝わっている」
貝木は視線を平井家に移す。
「まあ、そこの幼児に着いたのは低級のものだから、天災とまではいかないようだ。それでもこれぐらいの結界は張れるようだが」
「ちょっと待て。祟り神がついているのはあの子のほうなのか? 親じゃなく?」
ちっ、と貝木はまた舌を鳴らした。機嫌があまりよろしくない。いつも暗いから機嫌が悪いとホラーだな。黙って聞けということらしい。
「それは今から説明する。あの祟り神はその幼児を寄り代にその両親にでも憑依しているのだろう。何故祟り神があの幼児についているのかは知らんが、大方水にでも落ちたのではないか?」
両親に憑依? 水? 水たまり。 足の怪我。
「あの子、水たまりに落ちてから足が悪くなったって言ってた。きっとその時に……。でも両親に憑依って、どうしてわざわざそんな面倒なことをする必要がある?」
「まあ聞け。祟り神と言えど怪異。その根本は認識だ。平安の時代には自然こそが神だったのだ。人を寄り代にした祟り神は人々の認識に導かれ、神たる自然に憑依し天災を巻き起こす。それが今度はあの幼児を寄り代にした。これはどういうことだ?」
いきなり話を振られて動揺した。
「さっぱりわからない」
目で馬鹿めと言われているようだった。これだから大卒は。
「子供にとっての神とはなんだ?」
神様? ああ、なるほど。そういう事か。
「親、か。」
「そういうことだ。祟り神は寄り代になったものに対する神威を祟りに変える。それに腐っても神だ。寄り代をやめない限り足は治らない。おそらく足が供物に対応しているのだろう」
祟り神。それがどういうものかはわかった。また私の嫌いな神様だ。しかし、そんなことはどうでもいい。
「具体的に、私はどうすればいい」
「俺が知るか、と言いたいところだが、そこでこんなものを預かっていている」
そう言うと貝木はポケットから一枚の縦長の紙をとり出した。
「なんだい、これ。お札?」
「結界の無効化と祟り神の可視化。それから、お守りだそうだ。胡散臭いことこのうえないがな。まあ、せいぜい頑張れ。住居不法侵入に傷害罪、器物破損とそれから殺人未遂くらいは見てみぬふりをしてやろう」
それはさすがに寛容すぎるが。というか、そこまでやる気はないが。この男に応援されるなど気味が悪いな。これは壮大な詐欺の計画か何かではないのだろうか?
まぁ、なんにせよ今はそれどころじゃない。
まだ見ぬものに怯えるよりも、目の前のものとまずは戦おう。そのほうがよっぽど有意義だ。
「まさかこんなことを言う日が来るなんて思わなかったけれど、だから大したことは言えないというか、普通にすら言いにくいというか、とても心苦しいんだけど一応言っておくよ貝木」
「なんだ。気味が悪い」
「ありがとうってお礼さ。確かに悪人も悪いだけじゃないかもしれない」
私も含めて、善も悪も本当はもっと曖昧で、適当なものなのかもしれない。
君のおかげでそう思えた。
「そう思っているなら礼ぐらい普通に言え。」
「君のとちがって嘘はついてないからさ。許しておいてくれよ」
「……ふん。俺はもう行く」
じゃあな。と言うと、貝木はいそいそとどこか夜の闇へ消えていった。照れていたのだろうか? 意外に可愛いところあるなアイツ。
パサリ。と足元に紙が落ちる。
これは、さっきの祟り神についての資料か。
とりあえずめくってみた。
「……?」
もう一度。
「……」
これ、白紙じゃないか。あいつ絶対専門家だよ。隠す気ないし。もしやツッコミ待ちだろうか?
それにしてもあいつ、案外あの子を助けに来ただけだったのかもしれないな。
もともと、この仕事は貝木のものだし、意外に無いことでもない気がする。
まあ、気を取り直して、救出作戦第二陣。行ってみようか。
体中はボロボロだけど、まだ動ける。助けると決めたから。
何度も言うように、
私はあきらめが悪いのだ。