世の中は悪意と欺瞞と嘘によって構成されている。何をしたって裏切られ、見捨てられ、どれほど言葉を尽くしても人と人とが分かり合うことはない。
『あなた、なんで生まれてきたの?』
何より人は死ぬじゃないか。結末は死ぬことと決まっているのに生きている意味なんてあるのか?
バッドエンドじゃないか。
バッドエンドしかない。
それでも、人は死ぬとき、残された人に何かを残せるとか、そんな月並みなことを思ってる人は多い。
すごく多い。
まあ、実際そんなことはありえないのだけれど。
『バスケットボールをしていないあなた。それって粗大ゴミより邪魔なの。気づいてる?』
それは奇麗事だ。それこそ嘘だ。人は死ぬ。あっさり死ぬ。たった一言さえ、残せない人は世界中にいくらでもいる。生きていた痕跡さえ、残せない人もいる。
トゥルーエンドはない。いうなれば、バッドエンドこそトゥルーエンドだろう。人が選べることは、実は、驚くほどに少ない。
不自由で、不十分だ。
選べるのはどう生きるかじゃない、どう死ぬか、ただそれだけだ。
こんな言い方をすると、人類がみんな自殺志願者のように聞こえてしまう。
でも安心していい。
人類はみんな自殺志願者だ。
言い変えるなら死ぬために生きている。
それならば、いつ死んだって変わらない。
もしかしたら、より早く死んだほうがいいかもしれない。天国にいけるかもしれない。
多分ないと思うけど。天国。
『あなたより、ものを食べないだけゴキブリのがマシなの、気づいてる?』
どうでもいいや。
それじゃあ、死のう。今。
おさらばしよう。
そうして、手首に押し当てたカッターの刃を強く引き、今日も私は目を覚ます。
全身、汗びっしょりだった。
ひとつ、大きな溜息をつく。
「そんな風に悟ったような物言いで、夢の中の私は格好いいなあ。吐き気がするぜ」
私は吐き捨てるように空につぶやいた。反論でもするような鳥の鳴き声がぴーぴーうるさい。
最近、同じ夢ばかり見る。
夢の中で『私』が追い詰められ、最後に手首を切る。深々と。その続きを見たことはないけれど、きっとあの『私』は死んでいるだろう。
私は、何かを途中であきらめるやつが大嫌いだ。私自身、嫌なことや煩わしいことをすぐに先送りにするタイプだから、あまり偉そうなことを言えたものじゃないけれど、あきらめるというのはどうにも気持が悪い。格好悪い。
人生をあきらめるなんて、もってのほかだ。
どんなに格好いい理論や主張を並べても、死んでしまえばそれまでじゃないか。自己満足にもなっていない。
惨めでも、醜くても、あきらめないやつはみんな格好いい。私は好きだ。
だから、私は夢の中の『私』が大嫌いだ。
いつもあきらめるから。
達観したようなことを言って、何にも見えていない。現実逃避をしているだけだ。夢の中で現実逃避というのもおかしな話だけれど。逃避した先が現実だなんていうのもまた随分と滑稽な話だった。
今はもう、おそらく七月。外とはいえ、太陽が昇ればそれなりに気温は上がる。室内のほうがよっぽど快適だろう。汗が気持悪い。
おそらくというのは、別に家にカレンダーがないとか、そういうことではない。そもそも家がないわけだし。
つまり、時間にかまけて年がら年中全国を放浪する私にとって、時間や日付などの概念がほとんど無意味になってしまったということだ。節約のため、めったに宿泊施設を利用することもないし。雨が降ったときぐらいだ。
人は学校とか、会社とか、家族とか、そういう組織に属していないと時間の流れに無関心になる。旅をして気がついたことのひとつだ。
自由でいると、人は時間の流れを感じない。なんだかそれはすごく怖いことのような気がした。数字によってはっきりと見えていた明日が曖昧になって、今が今日なのか明日なのか昨日なのか、私にはもうわからない。そのことに違和感も覚えない。
でも、不快感は覚える。
ストレスは感じる。
だってそうだろう。時間を感じないなんて、なんだか私が死んでしまっているみたいじゃないか。
中学時代、毎日毎日同じことを繰り返す学校生活に意味があるのかと、いつも思っていたものだけれど、今のほうがよっぽど、毎日同じことを繰り返している気がする。毎日、死に続けている気さえする。その毎日というのがすでに曖昧になってしまっているのだが。
もやがかかったように息苦しい最悪の目覚めの中、眠気と戦争しながら考えていたのはそんなようなことだった。
「ほう。これはまた珍しい奴を見つけたものだ」
突然、低い声がして、体を起こしてそちらを振り向くと、見るからに不吉な、黒いスーツを着た男が公園の入り口に立っていた。
男の名は、貝木泥舟。
率直に言うと、詐欺師だ。
ついでに、知り合いだ。
というか言い忘れていたけど、私は小さな公園の門のそばにあるベンチに横になっていた。
野宿というやつだ。しかしよく補導されなかったものである。毎回思うが。
とにかく、この詐欺師、貝木泥舟はなぜかさも私を偶然見つけたかのように声をかけてきたけれど、私の姿はベンチと門の影になっていて道からは見えていないはずだから、たとえこの男がこんな田舎町の寂れた公園の横を偶然通りかかったとしても私には気がつかないはず。
本当に呼吸するように嘘をつく奴だ。用があったくせに。
「おはよう、貝木。今日はなんだい? 朝からストーカー行為なんて、暇なのかい?」
「もう昼だがな。というか、夕方に近いぞ」
マジで? それは予想していなかった。ちょっとからかってやろうと思っていたのに、なんだその身も蓋もない事実。
というか、それはまずいだろう。いくら時間感覚が曖昧模糊としていても、朝と夜の区別もつかないとは恐れ入ったぞ私。いま、一気にすべてのやる気を持っていかれた。
時間感覚を失っているという話をあれだけしておきながら申し訳ないが、私はおきるのが昼を過ぎるとその日一日何もやる気が出ないのだ。憂鬱というか、喪失感というか、とにかく何もしたくなくなる。
言われてみればなんか太陽の位置もそれっぽい。
「というのは嘘だ」
「……………」
殴りたい。なんだこいつ、嫌がらせのためにわざわざ会いに来たのか?
のらりくらりとした挙動と性格で有名だった私が危うく切れそうになったぞ。
というか恥ずかしい。知ったかぶりがあらわになってしまった。
太陽の位置で時間なんてわかるものか。そもそも太陽なんて日常的に見るようなものでもない。眩しいし。
しかし、ほんとに眩しいな、太陽。
「そう怒るなよ。寝ぼけているようだったから、目が覚めるようにと思って気を遣った、俺なりの親切心だ。本来なら料金を徴収するところをまさかの出血大サービスだ。感謝しろ。今回の件からお前が得るべき教訓は、悪人が行うのは悪行だけに限らないということだ、沼地蝋化」
この詐欺師、ただの嘘をどれだけ拡大解釈するのだ。途中から楽しみになって最後まで聞いてしまったじゃないか。
というか、騙して感謝を求めるってそれ、ただの詐欺だ。普通の悪行だよ。悪人がするのは悪行に限らないかもしれないけどこいつがするのは悪行ばっかりだ。鬼も悪魔も真っ青だ。
ほんと、悪魔も真っ青だ。
そもそも、怒ってないし。眩しいだけだ。
真面目な話、
「……で、一体今日は何だい? 珍しい奴を見つけたというならそれは私も同じだよ。君みたいな詐欺師が私みたいな一介のカウンセラーに何か用でもあるのかな? 悩みがあるのなら喜んで聞いてあげるけどね」
「カウンセラーとは、物は言いようだ。生憎だが、おまえの食い物になるような悩みは持ち合わせてはいない。俺は幸福だからな」
なんて、不吉の塊みたいなこいつが言うと冗談のようにしか聞こえない台詞をはきながら、貝木は右手に抱えた細長い木箱を差し出してきた。
桐の箱のようだ。高級感が漂っている。
「なんだいこれは? プレゼントかい?」
「悪魔の右腕のミイラ、だそうだ。胡散臭い事この上ないが、一応、俺の肩書きはゴーストバスターなのでな。とある場所から引き受けてやったのさ。もちろん、金はいただいたが。まあ、そこで、こんなくだらないオカルトを蒐集していた女がいたなと、思い出したというわけだ。」
「で、わざわざ持って来てくれたって訳かな。親切すぎて気持悪いね」
それは正直な感想だった。
貝木泥舟と親切は犬猿の仲とかそういう次元の言葉では表現できないレベルで相容れない。それこそまさに次元が違うというべきだ。犬と猿ならこの世界で仲が悪いという関わりがあるけれど、貝木と親切の二つはお互いに関わることすらない。
次元が違うのだ。
つまり何が言いたいかというと、私は貝木が何かを要求することを前提にそのミイラをどう手に入れるかを考えなければいけないのだ。
いや違う、この詐欺師は甘くない。どう手に入れるかなど考える必要はないだろう。私のニーズにあったものを持って貝木がここに来たのだから、どうあれ私はそれを手に入れることになる。最終的に手に入れさせられる。それが貝木という男だ。
つまり、私は覚悟すればいいというわけだ。この詐欺の前提には、私が騙されてそれを手に入れるというところまでが入るのだから今更どうしようもない。
全く酷い奴だ。全てを失ったいたいけな少女からまだ何かを搾り取ろうなんて。
「もちろん、代金はいただく。仕入れでも相当もらったが、だからと言って小売でサービスはしない。俺は真面目だからな」
ほらね。また何か言ってるよこいつ。
「君の要求に応えるような金額を用意するのはこの通り私には無理だ。と一応言っておく」
そう言って、私はジャージの上着を脱ぎ捨てて、右足のズボンも足の付け根までまくり上げた。
せめてもの抵抗だ。負けるにしてもあきらめはしないさ。
しかし、貝木はまゆひとつ動かさない。
つまらない男だ。若い女子がこんな公園であられもない姿になっているとういのに。
まあ、この有様では仕方がないか。少なくともお嫁には行けないだろう。
「確かにその足と体では一般就業は難しいが、それを逆手に取れ。そうだな、研究所などどうだ? 自らの体を研究材料として提供すれば大金が入るだろう。なんなら俺がマネジメントをしてやってもいい。一億は稼いでやる」
「それ私には多分一銭も入らないだろ。下手したら一生試験管とか檻の中になる。お断りだね」
誰がそんなことをするもんか。プライドも何ももうないけれど、だからといって誰かに縛られるとか、そういうのはもういいや。
「青いな。沼地蝋花。なんの犠牲もなしに何かを得られるなど現実が見えない愚者の戯言だ。そう言う奴は死ぬ直前に気づく。自分は今まで何もしてこなかったとな。まあ、気づければいいほうだが」
……。わかってるさ。自分が結局何もしてないってことぐらい。でも、だからどうした? 何もしないのが私のやり方だ。後悔はしなれてる。
「と、まあ。いつもならこんな具合で獲物を誘導するわけだが、心配するな金は取らん」
「という、誘導だろ? それでいつの間にか私の貯金通帳の残高がゼロになってるわけだ」
咄嗟に口をついて出た自分のセリフに、全くだ、と心の中で相槌を打つ。こいつの口から出るうまい話などうまい棒のサラミ味くらいうまくない。
何を言っているのか自分でもわからないけれどとにかく、信憑性がないのだ。
「信用がないな。まあいい、信じるか信じないかは自由だ」
「どの口が言うんだよ」
「とにかくだ、今回お前は獲物じゃない」
そしてこれは仕事じゃない。と貝木は強調するように付け足した。
「昔馴染みからある仕事を頼まれたのだがな、どうにも俺向きの案件ではないのだ」
「ふうん。そう。それは本当なのかい?」
冷やかしてみた。そう簡単に信用するものか。安い女ではないつもりだ。
「……知り合いから信用されるというのは詐欺師にとって最大の難題だ。そして俺はそんな難題に挑戦する気はない。つまりお前に信用される必要はない。依頼をして帰るだけだ」
なるほど、嘘でもホントでも分からなければ一緒だからな。確かにその通りだ。嘘とは別に信用させなくとも聞かせるだけで効果がある。なるほど。というか、
「今、依頼と言ったかい?」
「ああ。内容はこの書類だ。こういうのはカウンセラーたるお前の得意分野だろう」
貝木はそう言って、ベンチの空いているスペースにA4サイズの封筒を置いた。なかなかの厚さがあるようだ。
そして、その封筒の上に桐の箱ををおく。
「確認しろ」
言うとおりにするのは癪だけど、いちいちちゃちゃを入れては話が進まないので私は桐の箱を素直に開けた。
「……確かに」
なかにはレイニーデヴィルと呼ばれる悪魔の右手のミイラが入っていた。あまりにも古く、所々劣化が進んでいるが、私にはこれが本物だとわかる。私の中にもこいつがいるから。
「それは手付だ。報酬にはさらにその悪魔の左腕の情報。悪い話ではないだろう?」
「ずいぶんと羽振りがいいじゃないか。最後に全部持っていくつもりかい?」
信用できない。話がうますぎる。
しかし、その報酬は諦めるわけにはいかないだろう。負けるのはしょうがないが、諦めるのは嫌いだ。
となると、問答は無用だ。どちらにせよ、私はあきらめないのだから。
「そう身構えるなよ。実際のところ今回そういうのは無しだ。止められているからな」
「……? その昔馴染みにかい? 」
「そんなところだ」
「……へぇ、貝木にもそういう人がいるのか。どんな人なんだい?」
「何でも知っている、胡散臭い女だ」
「女の人? へぇ、貝木も隅におけないんだな」
「俺はただのパシリだがな」
「尻に敷かれているんだ」
「どうとでも言え」
まあ、その女の人というのが存在しない可能性というのもあるのだけれど、むしろその可能性が高いのだけれど、今回はいいだろう。手付ですでに収穫はあった。その依頼とやら、考えてやろうじゃないか。
「では、俺は行く。今回の件からお前が得るべき教訓は、この世には本当のことを言う詐欺師もいるということだ」
お前は違うがな。
と、思っている間に貝木はリアクションも待たずにさっさと公園から出て行った。まあ、貝木に手を振られたりした日には怖すぎて泣くだろうけれど。
……ていうかあいつ、こんなこと人に思われる人生で楽しいのか?
まあ、私もこんな人生でそこそこ楽しいし、人それぞれだね。
私は立ち上がって体を伸ばし、太陽を直接見た。
眩しいけれど、まあまあ綺麗じゃないか。