「おー、ラッキー」
ㅤ男子便所の水道で手を洗っていると、背後でそんな声が聞こえた。僕は思わず耳を峙てる。
「何が?」
ㅤ鏡越しに後ろを見ると、奥の個室の扉に背中を預けてスマートフォン片手に気だるそうに返す男子高校生の姿。幸運を手にした主は、どうやら洋式トイレで大きな落とし物をしているようだった。
「誰か忘れてやんの、鞄。うわー財布に携帯も入ってるよ」
「お前交番に届ける気無いだろ」
ㅤ扉の前の男子高校生はスマートフォンをポケットに仕舞った。
「諭吉は?」
「いるいる。めっちゃいる。えー……まじかよ、10人もいるんだけど。女もいる。逆ハーかよ」
「どうすんの」
「決まってんだろ、豪遊しようぜ」
ㅤすぐに服を上げる衣擦れの音が聞こえ、流れる音はしないまま扉が開いた。僕は咄嗟に洗っている手に目を落とす。
「大引っ込んじまったわ」
「後でしたくなっても野グソな」
「諭吉で拭くしかないじゃん」
ㅤ笑いながら2人の男子高校生がトイレを出ていく。この後彼らが10人の福沢諭吉と1人の樋口一葉をどうするつもりなのか気になって、僕はこっそりと後をつけることにした。
「何に使うよ?ここ、100均なんだけど」
「棚買いしようぜ」
「……アホ」
ㅤ悪態づきながらも男子高校生は100円ショップに入っていく。
ㅤ入り口を抜けると、右手にあるレジで1人の客が困ったように声を上げていた。
「……あの鞄には免許証も保険証も……とにかく貴重品を全て入れていたんです。あれが無いと困るんです。今日使う大切なものもある……もし悪用でもされたら……ああああああああ!」
「……お客様、見つかりましたらご連絡致しますので、お名前と電話番号を教えて頂けますか」
ㅤ狂気じみた悲痛な叫び声に、店員がなだめるような声色でそう言う。恐らくトイレに鞄ごと置き忘れた当人だろう。さすがに罪悪感を感じたのか、目の前を歩く2人は顔を見合わせる。暫く考えるそぶりを見せた後、見つけた張本人がこくりと頷き、男の元へと歩みを進めようとした、その時だった。
「あー……いいですいいですー。俺、死ぬつもりだったんで。はは……あははははは!」
ㅤ何が可笑しいのか、男は急に笑い出した。店員の顔が引き攣る。男子高校生達も、思わず足を止めた。
「それじゃーさよーなら、店員さん」
ㅤひらりと手を降った男は、次の瞬間、懐から出刃包丁を取り出した。客の殆どが騒動の一部始終を見ていたらしく、店のあちらこちらから悲鳴が上がる。だが、その凶器が他の人々に向けられることはなく、男は迷わず自分の胸にそれを突き立てた。
「……っ!」
ㅤ一瞬、時間が止まったように思えた。目の前で繰り広げられる非日常。見たことのない血の量。仰向けに倒れる男の姿。鼻をつく、嫌な臭い。店員はその場に嘔吐した。
ㅤ息耐える寸前で、男はにやりと笑って包丁を持っている手とは反対の手を宙に掲げた。その手には黒く四角い形をした小さなものが握られていた。
「……1人は、寂しいでしょ?」
ㅤ――……ピッ
ㅤ男が黒いものを押した時、そんな機械音がしたのだ。それは、僕の目の前にいる男子高校生が抱えていた鞄の中のものに反応したようだった。そして激しい爆発音と熱い炎に焦がされて、僕達は何もわからなくなった。
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END