「幸太の様子がおかしいのよ」
と木村昭子はいって、深々と溜息をついた。そして、ちらりと俺の顔をみやり、わかるわよねとでもいうように首を傾げて見せた。
俺はいかにも真面目そうに頷いた。しかし、それはやる気のない新入社員が、上司の長々とした説教を聞かされた後に打つ相槌と大差ないに違いなかった。
息子の様子がおかしい――深夜に突然呼び出され、ファミリーレストランで泥水のようなコーヒーを手に一時間たっぷり夫の愚痴を聞かされた成果がそれだった。
店内には俺たちの他に二人客がいた。一人はノートパソコンのキーボードをひたすら叩き、一人はコーヒーの入ったカップを手にじっと俯いていた。カウンターには店員が頬杖をして宙に視線を飛ばしている。三人とも生け簀から揚げられ、干からびていく魚のような眼をしていた。俺の眼も似たようなものだろう。履歴をろくに見ずに、安易にコールバックした代償として適当なのかは判断がつかないが。
「ねえ、聞いてるの?」昭子が俺を睨んだ。「幸太のこと調べて欲しいの。暗くなったというか、最近は家でろくに喋らないし。帰ってくるのも遅いのよ? 理由を訊いても何も話さないし。それに今日なんか――いえ、もう昨日ね――昨日なんか、とうとう帰ってこなかったんだから……。絶対、何かあるのよ」
「最近というのは、具体的にどれくらい前なんだ?」
「そうね。一年くらい前からかしら」
「なるほど」
俺は天井を見上げた。一年も前のことを最近とみなす女もいれば、思い立ったら深夜だろが即座に人を呼び出す女もいる。その二人が同一人物だったとしても矛盾はない。あるのは不条理だけだ。
「木村はどうだって?」
「だからいったでしょ? 息子のことだというのに、あの人は石みたいに黙っているだけで、何もいおうとしないし、しようともしないのよ。だから中川君にお願いしてるんじゃない」昭子は慨嘆の息をはいた。「それに、あの人より中川君のほうが適任だわ。知らない仲じゃないんだし、歳も近いから幸太も話やすいでしょ」
今年で四十になる人間からすれば、二十四も十七も同じようなものらしかった。何より、俺が木村幸太について知っているのは、顔、名前、性別、年齢、通っている学校くらいのものだった。つまるところ、一回会って話しただけなのだ。まだ古井由吉についてのほうが詳しい。向こうも同じようなものだろう。
俺は引き受けるとも断るともつかない、曖昧な返事をした。昭子はそれを引き受けるものだと判断したらしかった。
「お願いね」満面の笑顔で昭子がいった。
俺は頷いた。理由は簡単だった。首というものは、縦には振りやすいが、横にはひどく振りにくいようにできているからだった。
「それじゃ、どうする? 何か食べる?」
「やめておこう。これから仕事なんだ」
「こんな時間に?」
「ああ」
「そう。大変ね」昭子は頷き、冷えきったコーヒーを美味そうに飲み干した。「でも、中川君。若いからって、無茶なことしてちゃ駄目よ。そろそろまともな仕事を探しなさい」
そういうと、昭子はメニューを取り出し、それに集中し始めた。
俺は別れの言葉をのべて立ち上がった。きっと笑顔でいえただろう。
まともな仕事――ヤクザの妻から聞かされると、妙に含蓄があるように思える言葉だった。